音羽城は佐々木六角氏の家臣である蒲生氏の居城として知られています。蒲生秀綱あるいは貞秀の頃に築かれたとされ、1496年(明応5年)と1502年(文亀2年)には主君を守るためにこの城が戦場となり、いずれも勝利をおさめています。しかしその後、貞秀の孫の蒲生秀紀の1522年(大永2年)に叔父である蒲生高郷との間に相続争いが起こると、3年に渡る籠城戦の末に、近江守護・六角高頼の裁定により和議が成立し、それにともない廃城となりました。以降、降伏した秀紀は鎌掛城へと移り、蒲生宗家を継承した高郷は日野中野城へ居城を移しています。現在城址は「音羽山公園」として整備されており、土塁や堀切が一部残っています。
目次
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音羽城に関するデータ 情報の追加や修正
285 m( 49 m)
内郭:-- 外郭:--
蒲生貞秀か
着工 15世紀後半
1523年(大永3年)頃
蒲生氏
曲輪、土塁、堀切、井戸
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 丘城 |
標高(比高) | 285 m( 49 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 蒲生貞秀か |
築城開始・完了年 | 着工 15世紀後半 |
廃城年 | 1523年(大永3年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 蒲生氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、井戸 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/07 14:28:02
音羽城へのアクセス情報 情報の追加や修正
音羽山公園駐車場(70台)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 音羽山公園駐車場(70台) |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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