国府山城は黒田官兵衛が羽柴秀吉に自らの居城である姫路城を譲ったあとに移り住んだ城として有名です。司馬遼太郎の「播磨灘物語」にも、このときのふたりのやり取りが描かれています。この城の初代城主は、薩摩氏長の子孫で『太平記』で有名な妻鹿孫三郎長宗で、長宗は「元弘の戦」で赤松円心に属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、この地に城を築いたといわれています。その後、官兵衛孝高の父・黒田職隆が姫路城から移り居城としており、1585年(天正13年)に職隆が没したことに伴い廃城となりました。現在、妻鹿町内の住宅街には黒田職隆の廟所があり、町民から慕われています。
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国府山城に関するデータ 情報の追加や修正
98 m
内郭:-- 外郭:--
妻鹿孫三郎長宗
着工 1330年頃
1585年(天正13年)
黒田職隆
黒田氏
曲輪跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 98 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 妻鹿孫三郎長宗 |
築城開始・完了年 | 着工 1330年頃 |
廃城年 | 1585年(天正13年) |
主な改修者 | 黒田職隆 |
主な城主 | 黒田氏 |
遺構 | 曲輪跡 |
指定文化財 | |
復元状況 |
登録日:2013/11/17 17:35:52
更新日:2024/07/27 03:28:05
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) | |
駐車場 |
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