国府山城跡がある甲山のふもと、荒神社境内にある案内板の内容です。
国府山城
国府山城(功山城とも)は城郭の観点から見て砦のような小規模な城だが大変優れた城であった。先ず第一は大変堅固な要砦をなしているということ。市川は妻鹿の河口で二つに分かれ、
一つは現在のように南に流れ、別の流れは現在の浜国道の南沿いに流れ、今は埋め立て地となっている妻鹿港に流れていて、天然の堀となっていた。
また南の一部には松原山があり、東には御旅山、妻鹿山が連なっている。北は峻険な切岸をなし、従って妻鹿村全体が大規模な城郭となっていた。
第二は、瀬戸内海を一望のもとに眺めることができ、見晴しの大変よい城である。名城の条件を満たしている。
第三は、市川は当時現在の京口川とつながっており、姫路城近くまで舟で行くことができた。軍の移動も物資の運搬にも大変便利よく、真北に位置する姫路城の枝城としては申し分なき城であった。
軍師官兵衛も一時期この城を居城としており、築城の名手黒田官兵衛はこの城から始まったといっても過言ではない。