駒ヶ嶺城は相馬盛胤が伊達氏に備えて築いた城です。藤崎摂津守が城代をつとめ、1589年(天正17年)、摂津の子の治部が城代のときに伊達政宗の家臣である亘理重宗に攻められ落城しました。政宗は境目の城として重視し、黒木宗俊、桜田元親などの重臣を城代としました。江戸末期には伊達一族の宮内定清が城代をつとめていました。幕末の戊辰戦争では、伊達氏の防衛拠点として浜通りを北上する官軍を迎撃しましたが、官軍方の攻撃により炎上し落城しました。現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っています。
目次
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56 m( 40 m)
内郭:-- 外郭:--
相馬盛胤
着工 永禄年間(1558年~1570年)
1868年(慶応4年)
藤崎氏(相馬氏家臣)、黒木氏、桜田氏、新田氏、富塚氏、宮内氏(伊達氏家臣)
曲輪、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城(山城) |
標高(比高) | 56 m( 40 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 相馬盛胤 |
築城開始・完了年 | 着工 永禄年間(1558年~1570年) |
廃城年 | 1868年(慶応4年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 藤崎氏(相馬氏家臣)、黒木氏、桜田氏、新田氏、富塚氏、宮内氏(伊達氏家臣) |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/19 03:49:09
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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