中館は南朝方の拠点であった霊山城が落城した際に落ち延びた、桑折五郎元家によって築かれました。元家は真野五郎と称して土着しましたが、桑折忠家の代に田中城に移り廃城となりました。なお1542年(天文11年)に黒木城主・黒木弾正が反乱を起こした際には、相馬城主・相馬顕種が大軍を率いてここに本陣を置いたとされます。現在城址には日吉神社があり、土塁の遺構を確認できるほか、道路脇に案内板が建てられています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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