左手の高くなり左手に曲がっていく道が登城道で右手の平場が三の館跡です
竹藪になっていたため奥までは入っていきませんでした
奥の民家に続く舗装道はここでクランクしていました
民家への道と分かれて山へ入っていく大手道です
この先に三の館跡があります。竹藪ですが。
左手の高くなり左手に曲がっていく道が登城道で右手の平場が三の館跡です 竹藪になっていたため奥までは入っていきませんでした
三の館からの登城道を進むとここに出ます 本館への虎口は南北にあり、いずれも土塁による桝形虎口となっていました
南虎口を出ると空堀につながる堅堀で切られた土橋に出ます。この先は西館です
本館への虎口は南北にあり、いずれも土塁による桝形虎口となっていました
西舘のはずれに空堀に降りられる箇所があり、堀底を通って下城できます
ここは登城道近くのお社の横に降りてきます。大手から登り、こちらから降りる方がわかりやすいと思います。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する