稲倉城は武田信玄に臣従し「信濃先方衆」に組み込まれた、赤沢氏によって築かれた城として知られています。1582年(天正10年)に武田氏が滅亡すると、赤沢清経は徳川家康の支援によって旧領回復した小笠原貞慶の配下となります。しかし翌年に謀反が発覚して赤沢氏は滅亡し、廃城となりました。現在城址には土塁や空堀のほか、二重堀切などの遺構を確認することができます。また南麓の横手集落は赤沢氏の居館跡とされ、案内板が建てられています。
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1000 m( 250 m)
内郭:-- 外郭:--
赤沢氏
着工 1335年(建武2年)頃
1583年(天正11年)
赤沢氏
曲輪、帯曲輪、横堀(空堀)、物見台跡
市特別史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 1000 m( 250 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 赤沢氏 |
築城開始・完了年 | 着工 1335年(建武2年)頃 |
廃城年 | 1583年(天正11年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 赤沢氏 |
遺構 | 曲輪、帯曲輪、横堀(空堀)、物見台跡 |
指定文化財 | 市特別史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 03:47:46
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登山口駐車場
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 登山口駐車場 |
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