伊深城は小笠原氏の家臣である後庁氏の居城で、林城の支城として築かれました。その後、後庁氏は隣接する赤沢氏に滅ぼされ、以後は赤沢氏の所有となったとも伝えられます。1550年(天文19年)の武田信玄による林城攻撃のときに降伏すると、武田氏の家臣である小宮山織部が入城しました。現在城址には土塁や堀切のほか、一部ではあるものの石垣の遺構を確認することができます。登城口は若宮八幡社にあり、登山道が整備されています。
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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