早落城は稲倉城主・赤沢氏がその支城として築いたとされる城です。その後、主君の小笠原長時が城を召し上げて伊深城主・後庁氏に与えましたが、武田信玄が府中へ侵攻した際に赤沢氏は武田氏に内応してこの城を奪還しました。なおこの際にあまりに早く落城したことから「早落城」の名がついたとされます。赤沢氏は家臣の林氏に守らせましたが、1582年(天正10年)に廃城となりました。現在城址には空堀や切岸などの遺構を確認することができ、山麓の住吉神社にある登城口に城址碑があります。
早落城に関するデータ 情報の追加や修正
777 m( 75 m)
内郭:-- 外郭:--
赤沢氏か
着工 南北朝時代頃か
1583年(天正11年)
赤沢氏、後庁氏、林小太郎
曲輪、堀切、切岸
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 777 m( 75 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 赤沢氏か |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代頃か |
廃城年 | 1583年(天正11年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 赤沢氏、後庁氏、林小太郎 |
遺構 | 曲輪、堀切、切岸 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/19 03:52:39
早落城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり |
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