別名 女神岳城、別所城、別所山城
女神山城は「天正壬午の乱」において徳川家康から上杉景勝に寝返った真田昌幸が、徳川方の小笠原氏にそなえるために改修した城です。信州100名山のひとつである女神岳山頂にありますが、築城者や築城年代については不明です。鎌倉時代にこの地で勢力を誇った塩田北条氏の居城・塩田城の支城という説や村上氏が使用したとする説などがあります。現在城址には土塁や堀切のほか、真田氏時代のものとされる石積などの遺構を確認することができます。
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書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。
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