塩田城は村上義清の家臣である福沢氏の居城でした。1553年(天文22年)4月、武田晴信の攻撃によって葛尾城を追われた義清は越後の上杉謙信を頼り、ここから12年にわたる「川中島の戦い」がはじまります。謙信によって所領を取り戻した義清はこの城を居城にしましたが、再び信玄に攻撃され越後へ逃れました。その後、信玄は川中島進軍の拠点として飯富虎昌らの重臣を常駐させ、「第一次川中島の戦い」では武田勢の本陣として使われました。武田氏滅亡後は真田氏の領地となりますが、上田城が完成すると廃城となりました。現在城址には土塁や石垣がわずかに残り、前山寺の西側に城址碑が建てられています。また発掘調査で見つかった出土品が観光施設「塩田の館」に展示されています。
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豊臣秀吉と柴田勝家の雌雄を決した賤ヶ岳の戦い。この戦いで活躍した、賤ヶ岳七本槍のメンバーのその後の人生と、八本目の槍、石田三成との人間模様を描いた物語です。
福島正則、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明、7人のひとりひりの小姓時代の呼び名で物語が構成されてます。
それぞれが違う生い立ちの中、豊臣秀吉の小姓として見出され、天下分けめの関ヶ原の戦いで、東軍についたもの、負けるとわかっていても西軍についたもの、その後の世の中の流れを見据えた石田三成が、それぞれ7人に思いを寄せ、奔走した様が描かれており、石田三成の戦旗に記された意味が読み取れます。
本の帯にある通り、この小説を読み終えた時、その男石田三成を、大好きになりました。
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