TETSU塩田城跡の案内板は横堀跡の遊歩道脇にあります。
長野県史跡 塩田城跡
昭和四十五年四月十三日指定
塩田城は、鎌倉時代中期(健治三年・1277年)鎌倉幕府の重職であった北条義政がこの地に移り、館を構えたことから始まる。義政の子国時、その子俊時と三代にわたり約六十年、塩田北条氏と称し、信濃の一大勢力としてこの地方を統治し、また幕府内でも活躍した。
鎌倉幕府滅亡後は、坂城の村上氏の領有するところとなり、重臣福沢氏をここにおいて統治させたが、天文二十二年(1553年)甲斐(山梨県)の武田信玄に攻められ落城した。信玄は塩田城の戦略上の重要性に着目し、自らも時々ここに滞在して東信濃の拠点の一つとした。天正十年(1582年)武田氏の滅亡後は、真田昌幸が支配することとなるが、上田城築城後は廃城となった。
昭和五十年から実施された塩田城の発掘調査の結果、貴重な遺構、遺物が発見された。それらの成果によれば、北条氏時代の館は東前山の集落の入口(小字竹の内)あたりにあったらしく、村上、武田氏の時代になって山腹から頂上にかけて城が築かれたものと推定される。指定地域からその周辺にかけて東西二百m、南北七百mに及ぶ築城の跡が明らかになり、県内最大級の中世城館跡として知られている。(発掘現場はここから約百m上方)
平成二十八年二月 長野県教育委員会 上田市教育委員会
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