小岩嶽城は古厩盛兼の居城です。盛兼は1552年(天文21年)に武田信玄によって攻められると自害しています。ただし古厩氏はその後、武田氏に従ったようで、武田氏滅亡後は小笠原貞慶に従いました。古厩因幡守盛勝は1583年(天正11年)に稲倉城主・赤沢清経や塔ノ原城主・塔原幸貞らとともに上杉氏に通じて謀叛を企てましたが、その計画が露呈して盛勝は松本城で謀殺されました。現在城址は東麓にある居館跡が「小岩嶽城址公園」として整備されており、櫓や城門が模擬復元されています。山頂の詰城部分は尾根先の展望台までは遊歩道がありますが、その先は立入禁止となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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