滝山城は松永久秀が改修し、西摂津支配の拠点とした城です。南北朝時代からたびたび戦火の舞台となった要衝でもあります。久秀が三好三人衆との権力争いに敗れると篠原長房が入城しましたが、織田信長に接収されて荒木村重に与えられます。その後は花隈城の支城として池田泰長が入城し、1578年(天正6年)に村重が信長に反旗を翻すと、この城も落城しそのまま廃城となりました。現在は名瀑「布引の滝」とつながるハイキングコースとして整備されています。遺構の状態も良好で、30以上の曲輪群、堀切、土塁などを確認することができます。新神戸駅の裏側に登城口があります。
摂津滝山城を訪問した129人の報告によれば、平均見学時間は49分、平均評価は3.12点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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