脇城は「阿波九城」のひとつとして、筆頭家老の稲田植元が城代をつとめた城です。羽柴秀吉による四国征伐では、長宗我部親吉が守備するこの城は一宮城とともに最終目標地点として指定されたほどの重要拠点でした。三好氏時代には武田信玄の異母弟とされる武田信顕が城主となりましたが、長宗我部勢に攻められた際に降伏しています。県内最大規模の山城でしたが、「一国一城令」により廃城になりました。現在城址には空堀や土橋のほか、わずかに石垣も確認されています。また城下の脇町は「うだつの町並」として有名です。
脇城を訪問した104人の報告によれば、平均見学時間は31分、平均評価は2.80点となっています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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