海部城は海部左近将監友光によって築かれた城で、土佐の長宗我部氏に対する阿波国最前線の城でした。1571年(元亀2年)に長宗我部元親の末弟である島弥九郎親益の船が浦戸港より出帆するも、強風を避ける為に城下の入江(那佐湾)に停泊した際に、友光は手勢を率いて親益を討ち取ってしまい、これを期に元親は侵攻し落城させました。羽柴秀吉による四国征伐によって蜂須賀家政が阿波へ入封すると、阿波九城のひとつとして大多和長右衛門正之が城代となり改修させました。その後、中村右近大夫重友、益田宮内一政らが城番となりましたが、「一国一城令」により廃城となりました。かつてこの地は島で、現在城址には曲輪跡や土塁を確認できるほか、城址碑が建てられています。
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50 m( 50 m)
内郭:-- 外郭:--
海部友光か
着工 1570年(元亀元年)
1638年(寛永15年)
大多和長右衛門正之
海部氏、香宗我部親泰、中村氏、益田氏
曲輪、石垣、堀切
町史跡
項目 | データ |
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曲輪構成 | |
縄張形態 | 海城(平山城) |
標高(比高) | 50 m( 50 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 海部友光か |
築城開始・完了年 | 着工 1570年(元亀元年) |
廃城年 | 1638年(寛永15年) |
主な改修者 | 大多和長右衛門正之 |
主な城主 | 海部氏、香宗我部親泰、中村氏、益田氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、堀切 |
指定文化財 | 町史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:43:36
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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