別名 阿波木津城

木津城は三好氏家臣・篠原長房の弟である篠原肥前守自遁によって築かれた城です。1582年(天正10年)、自遁は長宗我部元親が阿波に侵攻した「中富川の戦い」や「勝瑞城の戦い」に参加せず、また織田信長が「本能寺の変」で討たれたことを知ると城を明け渡し、淡路へ逃走しました。元親は腹心の東条関之兵衛を城主とし、大規模な改修工事をおこないましたが、1585年(天正13年)の豊臣秀吉による四国攻めで羽柴秀長軍の攻撃を受け、落城しました。現在城址は「木津城山公園」として整備されており遺構は少ないものの、東側から北東側の側面に畝状竪堀群を確認することができます。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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