板西城は屋島合戦に向かう源義経の道案内をした人物として知られる、近藤六親家によって築かれた城です。親家が赤沢兵庫頭宗定を養子に迎えると、以後は赤沢氏の城となり、赤沢氏の居城である勝瑞城の西の守りを固める重要な城となりました。1582年(天正10年)の「中富川の戦い」では赤沢信濃守宗伝が三好方の先陣をつとめるも、長宗我部元親の侵攻を受け勝瑞城とともに落城しました。現在城址は宅地化や農地化のため遺構はなく、正確な位置や規模も不明ですが、古城・城ノ内・城ノ西という地名がその名残りをとどめており、また天満神社の近くに案内板があります。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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