牛岐城は阿波守護・細川氏に従っていた新開実重の居城として知られています。1582年(天正10年)に城主・新開実綱が長宗我部元親に謀殺され、元親は弟の香宗我部親泰を海部城から移して、阿波の拠点としています。しかし羽柴秀吉による四国攻めで、木津城が落城したことから親泰はこの城を放棄して土佐へ撤退しました。蜂須賀氏の阿波入国後は「阿波九城」のひとつとして、家老である細山帯刀(のちの賀島主水)政慶が城代をつとめました。このときに牛岐から富岡に改称され「富岡城」と呼ばれましたが、「一国一城令」により廃城になりました。現在城址は「牛岐城趾公園」として整備されており、公園内にある「牛岐城趾館」には野面積みの石垣が展示されています(見学は公園管理事務所に連絡が必要)。
牛岐城を訪問した123人の報告によれば、平均見学時間は23分、平均評価は2.40点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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