鶴ヶ城は美濃守護・土岐光衡によって築かれたとされますが、諸説あるため定かではありません。以降、土岐頼貞が長森城に移るまで、代々土岐氏の居城でした。1576年(天正3年)に明知城が武田氏に攻略された際には、織田信長は河尻秀隆を城番としておいて城の普請をおこなっています。また1582年(天正10年)の甲州征伐の際には信長・信忠父子がこの城を拠点にして、武田氏追討をおこないました。その後、「関ケ原の合戦」の時点では岩村城主・田丸直昌の支城でしたが、妻木城主・妻木頼忠らによって攻められ落城し、そのまま廃城となりました。中央自動車道側道沿いにある諏訪神社のところが大手門跡で、ここに石碑があり、本丸跡には案内板が建てられています。
目次
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260 m( 70 m)
内郭:-- 外郭:--
土岐光衡か
着工 建仁年間(1201年~1204年)か
1600年(慶長5年)
河尻秀隆
土岐氏、河尻秀隆、田丸直昌
曲輪、堀切、井戸、土塁
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 260 m( 70 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 土岐光衡か |
築城開始・完了年 | 着工 建仁年間(1201年~1204年)か |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
主な改修者 | 河尻秀隆 |
主な城主 | 土岐氏、河尻秀隆、田丸直昌 |
遺構 | 曲輪、堀切、井戸、土塁 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/18 03:41:12
鶴ヶ城へのアクセス情報 情報の追加や修正
諏訪神社駐車場(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 諏訪神社駐車場(無料) |
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