伏見城(木幡山伏見城)は豊臣秀吉によって築かれた城です。1596年(文禄5年)に起きた大地震「慶長伏見地震」によって指月伏見城が倒壊したため近隣の木幡山に再築された城で、わずか3ヶ月で完成しています。秀吉の死後は徳川家康の居城となりました。「関ケ原の戦い」の際には家康の家臣である鳥居元忠が城代として守っていましたが、西軍に攻められて落城しました。「関ケ原の戦い」後には徳川家康が藤堂高虎に普請奉行を命じ、天下普請として再建させ、家康はこの城で征夷大将軍の宣下を受けています。現在、城址付近は伏見桃山城運動公園として整備され、模擬天守が建てられていますが、耐震基準を満たしていないことから中に入ることができません。また、この模擬天守は洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして建てられたこともあり、映画やドラマのロケ地として何度も利用されています。
伏見城を訪問した1534人の報告によれば、平均見学時間は39分、平均評価は2.92点となっています。
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伏見城に関するデータ 情報の追加や修正
105 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重6階
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豊臣秀吉によって1597年(慶長2年)に築かれた天守は独立式望楼型5重5階と推定されるが、この天守は1600年(慶長5年)に起こった関ケ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃により炎上し焼失した。その後、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康により1604年(慶長9年)に再築された天守は大和郡山城の7重7階の天守を5重5階の天守として移築改造したものとされる。伏見城は豊臣氏滅亡後は存在価値が薄れ、1619年(元和5年)に廃城を決定、城内の建築物は江戸城や福山城、淀城をはじめ各地に移築された。天守も二条城に移築されたとされる。現在の模擬天守は1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」として約6億円をかけて鉄筋コンクリートで造られたものだが、江戸時代の天守とは位置も外観も異なる。同遊園地が閉園後に無償で京都市に贈与されたが、耐震基準を満たしていないことから内部は非公開。
豊臣秀吉
着工 1596年(慶長元年) 〜 竣工 1597年(慶長2年)
1623年(元和9年)
徳川家康
豊臣氏、徳川氏
移築門、石垣、堀
伏見桃山陵が宮内庁治定
模擬天守
登録日:2013/11/17 17:35:49
更新日:2024/11/21 14:11:08
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