京都市文化財保護課で制作された「京都歴史散策マップ~文化財と遺跡を歩く~ 9 伏見桃山」です。
おもに豊臣秀吉が「慶長伏見地震」で倒壊した指月伏見城のあとに築いた、木幡山伏見城について紹介されています。
伏見城跡を歩く
豊臣秀吉の天下の夢舞台である伏見城は、徳川家康が江戸に幕府を開くと取り壊されて、跡地は桃畑となり明治維新を迎えます。慶長文化が花開いた伏見は桃山の名も冠した地名となり、明治維新には歴史変革の激動の舞台となりました。
壊された城下の痕跡は近年の発掘調査の成果でよみがえり、往時を垣間見せてくれます。伏見城跡周辺を歩き、伏見城と町並みの今昔を訪ねる歴史ルートをご紹介します。
伏見桃山地区の発掘調査
この地区は、伏見城とその城下町が大半を占め、大名屋敷に由来する数多くの町名が残されています。伏見城の城下町は、西側の丘陵斜面が大名屋敷街、その西側の緩傾斜地が商工業地域の町家街となっています。発掘調査もその大半が伏見城関係になり、大名屋敷街での武家屋敷の石垣や屋敷の建物跡、門跡、町家街での町家跡やそれに伴う道路跡などの遺構、金箔瓦や茶陶類など、当時を偲ばせる遺物も数多く出土しています。その他、伏見区役所建て替えの発掘調査では墓地を発見しています。また、桃陵中学校校内の発掘調査では弥生時代中期の方形周溝墓、奈良時代の柱穴・土坑、平安時代の池・土坑等を発見しています。
大名屋敷があった位置などが記載された地図もありますので、伏見城跡周辺を散策する際はこのマップを参考にすると便利です。
マップの現物は京都市考古資料館でもらえます。