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最近はレンタサイクルを多用します。徒歩よりも行動範囲が広がります。エリアによってはバスがあるものの、一時間に1本などもあり、今までは4,5キロまでならば歩くこともあったのですが、一度自転車を体験すると、ついつい利用してしまいます。城巡りには良い季節ですが、皆さんお城廻りは自身の体力と相談しながら、できる限り無理を避け、体調管理に気を付けて下さいね。目標(1,000城)に向け、今は近場からコツコツ、小さい遺構でも往時の人たちの心に思いを馳せながらマイペースで城巡りですね。・・・しかし この馬、重いね。

ゴロウさんが過去に回答した読者投稿欄のお題

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いろいろ、攻城記録を残せるサイトやアプリは有りますが、単なる検索だけではなく、他の先達の攻城メモを見たり、近くの他のお城を探したりできるところが良く、今は、攻城団さん一本です。主に城廻りを思い立った時に、さて、どこに行こうかな?とサイトを眺めているだけでワクワクしてきます。世の中に『趣味』と言われるものは多々有れど、自分には城廻りが今後の人生のライフワークとなると思いますので、最早攻城団さんは私にとって、人生の指針となるバイブルとなるでしょう。

今年、攻略を計画している「松本城」を挙げます。
お城の美学は多々あれど、武骨な戦闘設備としての機能と、近隣を従える威厳(存在感)とを併せ持ち、さらに四季に映える美しさをも兼ね備えるとするならば、そのすべてを持っているのが「松本城」だと思います。歴史的にも、かつての深志城の時から数多くの攻防戦が繰り広げられ、名もなき勇者がまさに人馬一体となって疾走したであろう土地柄というのも、興味を惹かれます。かつて、徳川を支えた重鎮石川教正公は、どのような思いで袂を分かち、どのような気持ちで松本に城を作ったのかなども、今は想像の域を出ませんが、松本城を見れば何か感じるものが得られるかもしれません。現在は、外国人観光客も多いとは聞いていますが、いろいろな意味でも後世に残しておきたい、日本を代表するお城跡の一つだと思います。

行きたいお城は数えればきりがありません。2024年にとなると、毎年一回は国内何処かへ遠征するのですが、2024年は松本城を考えています。また、八王子城跡や滝山城跡などもまだ攻略できていません。いずれも有名で大きなお城ですが、そのうち行くだろうと思いつつ行けていない典型的なところになりました。東京の人が東京タワーに行ったことがない、大阪の人が通天閣に上ったことがない、のと同じような感覚?でしょうか?

戦国時代と書くとおり、数多くの戦いが全国各地で行われました。一つ目、最大の変革となったのは「鉄砲伝来」だと思います。十数年で瞬く間に全国に広がり戦いが大きく変わりました。武辺の勇猛果敢な者がたった一発の弾に倒れるなども有ったと思います。次に二つ目としては、お城の進化ですね。信長公の安土城がある意味先がけ(細かい史実は別)で石垣の城が急速に進化し、多くのお城が作られました。今も攻城団さんのサイトをスマホやパソコンで確認しながら楽しめたり、各地で整備、再建されたりと、ある意味進化しています。他にも挙げればキリは無いけど、重大ニュースにはこの二つを挙げます。

最近は大阪城や駿府城跡でも堀廻船がありますね。個人的には元祖は松江城だと思っています。低い橋をくぐる際の屋根が下がるアトラクション感は、同乗した他のお客様とのしばしの一体感も生まれ、楽しかったですね。あと、これは堀廻りになるのか、近江八幡の水郷廻りで乗船した船は、モーター船ではなく櫂を熟練の船頭さんが操りながら、静かに進み、そこで食べたすき焼が絶品だったですね。また食べたい!

マニアックな人には?かも知れませんが、ゲーム感覚のVRアトラクションが有ります。城好き、歴史好きのきっかけに、尼崎城跡をおすすめします。

400年以上の年月で跡形もなく消えていく城も多いが、小・中学校として跡地が利用され、石碑しか残っていないが、立地や縄張を感じられるのも、大いに想像を掻き立ててくれるものだと思う。
私が印象に残るのは兵庫県の『尼崎城跡』。今の再建天守と場所は異なり近くの小学校の正門近くに石碑しか有りませんが、伊丹城から抜け出した荒木村重が、家族や部下を残して脱出し、さらに花隈城へと落ち延びるなか、何を思い、何を目指して立ちよったのか?その心理は今となっては分からないが、さぞかし無念だたのだろうと思いを馳せながら石碑を眺める。このえもいわれぬ感動と感傷のために、城めぐりを今後も続けたいと思った、印象深いお城です。

西は、やはり姫路城=白鷺城、再建天守だが見応えアリの和歌山城=虎伏山城。東は再建模擬天守だけど、亥鼻城(別名ではない)を思い浮かべました。

城めぐりを主な目的としながらも、関わる合戦跡地を訪れる事は有る。徳川と武田の直接対決は、何度か有るが、さすが信玄公と思うのが三方ケ原の戦いか。石碑の有る墓地の辺りから、根洗坂と言われる坂道を下り都田川に向かって、すとーんと落ち込む地形が確認できる。徳川としては地の利を生かして、この坂道を下り始めたらせめてもの一撃を目論んで攻撃を企んだが、武田はそれを予測していて、実は正面を浜松側にしながら後退しつつ坂道下で兵を展開して待ち伏せる。この駆け引きが、地形と連動してダイナミックに想像できる古戦場、それが三方ケ原古戦場です。

千葉県に「馬加城」というのが有ります。「バカ」ではなく「マクワリ」と
読みます。すぐ近くには「幕張」というJRの駅が有り、海側に行けば「海浜
幕張駅」があります。大型展示会場の幕張メッセや、野球の千葉ロッテのホーム球場などが有るので、ご存じの方も多いでしょう。すでに気づいた方も多いと思いますが、「マクワリ」が変化して「マクハリ」となり「幕張」という漢字になっていったとも思われます。
 他にも、実在の人物名(家名)が、お城の名前になり、町名や駅名にまでなって数百年後の現在まで<名を残す>ことができているというのは素晴らしいと思います。当然当時の武将や豪族たちはそのようなこと想像もしていないでしょうが、もしお墓などを見つけたら、「名前を残すことができて良かったですね!」「あなたのお陰でこの町はこのように発展してきたのですよ!」と、心の中で
感謝の気持ちを伝えたいと思います。

大阪といえば大阪城(大坂城)ですね。本丸を訪れたら天守に向かう前に、向かって左手に有る小さな日本庭園に向かってください。その庭園越しに、池に写る<逆さ城>は是非見てほしいですね。大阪城の美しさが倍増されます。天守入場チケットにもその場所からの写真が使われていますよ。ちょうどエレベーターが写らないように設計されたとも聞いています。場外には、旧秀吉時代の大坂城の石垣の一部がみられる場所や、細川忠興の正室「ガラシャ」の最後の場所となった屋敷跡に残る「越中井戸」、真田丸跡に残る幸村公の銅像や伝抜け穴跡なども見どころです。
 他には、芥川山城と飯盛(山)城ですね。元祖天下人三好長慶のお城ですが、特に飯盛山城などは調査も進み、野面積みの石垣なども多数見られます。山頂から、京都から堺まで見渡せる景観は、まさに畿内を抑えた天下人にふさわしいと思いました。以上3つの城跡は、まさに大阪を代表すると思います。

九州地方は未攻略のお城がたくさんあります。岡城、佐賀城、平戸城、延岡城、それに島原や臼杵城、などなど、枚挙に暇が有りません。これだけ交通手段の発達した現代でもなかなか行けないのに、九州征伐から東北仕置まで430年前に成し遂げた太閤秀吉様はすごいな。あっ、話が変わりましたが、やはり石垣好きとしては岡城跡ですね。画像を見るだけでもワクワクする石垣だと思います。

城門と聞いて一番に思い付くのは姫路城菱の門ですね。美しさと(防御力の)強さを兼ね備え、かつ姫路城を代表する門だと思います。あとは金沢城の門でしょうか。外から見ると狭間が全く無いのに内側から見るとしっかり狭間が敵を迎え撃つ。抵抗感ゼロの様に見せて万全の防御力を隠し持つしたたかさに、感動しました。お城は武骨さだけでなく、美しさも兼ね備えているというのを実感できる門の一つだと思います。

高取城跡は、外せないですね。あの石垣を見て石垣のファンになったり、城攻めを好きになるひともいると思います。次は、信貴山城跡でしょうか。お寺がメインになっていますが、さすがの松永久秀の縄張りだと思いますね。実は彼は実にたくさんのお城を手掛けています。大河でも鉄砲に詳しいシーンが有りますが、いち早く鉄砲の射程を意識したお城を造る所が素晴らしいと思います。最後は、少しマイナーですが椿井城跡です。石田三成が惚れ込んだまさに軍略と武勇に長けた武将の居城です。いずれもハイキング程度で攻城でき、郭や土橋などの中世のお城の特徴を感じることができる大好きなお城ですね。

つい先日訪ねた岐阜県の苗木城跡を推します。自然石を利用して、江戸期の城でありながら古風な積みかたのところも有れば、倉庫跡と言われる部分は整形された切り込みはぎで積まれ、見ごたえは十二分に有ります。岩村、伊賀上野、高松などの高石垣も魅力ですが敢えて自然石を利用した苗木城跡をおすすめします。

とりあえず営業や出張で行った先にて「近くのお城」を調べます。仕事をサボっていると思われない範囲内で、行ける場所だけ行く感じです。これは行ってみたい!というところがあれば、休みの日に改めて攻略を試み、さらに周辺のお城を調べますよ。お城が地図で探せるのは、最高に便利な機能だと思います!あとは、年に一回の歴史旅行のプランを立てる時にフル活用ですね。今年は美濃金山、苗木、岩村の3城を攻略します。駐車場や、先達の攻城記録が大変参考になります。本当にありがたいサイトです。

奈良県 大和郡山城を推薦します。
天下人、豊臣秀吉の弟で大和大納言秀長候のお城跡です。紀伊・和泉・大和100万石のお城跡で、現在は天守台を中心に整備されています。手すりやスロープも付けられ、無料でどなたでも簡単に天守台石垣に上がれます。その石垣上からは、若草山や東大寺、薬師寺の塔などが視認でき、大和盆地をパノラマで楽しめます。石垣には「転用石」といわれる「お地蔵さん」や「石灯籠」がそのまま使われているのも興味深く、歴史にあまり詳しくない人でも興味が持てるのではないでしょうか?少し歴史に詳しい人には、五代将軍徳川綱吉候の執政、柳沢吉保の城としても興味が持てると思います。ここに巨大な天守が有ったことを想像しながら、是非歴史ロマンを感じてほしいと考え、「幻の天守」に推薦いたします。

島左近!謎大き前半生!日本人の大好きな忠義の臣!大和椿井城などの城址も有り!築城にも長け、関ヶ原後も生きていたと言う漫画も有ったから、知名度も高い。石田三成を悪意表現から正義感溢れる主君として表現することも期待します。

大阪城です。城に向かって左手に小さな池と庭園がありますが、そこから池越しに撮るとエレベーターも写らず、最高に感動します!

埼玉県深谷市に有る畠山重忠公園に有る畠山重忠公の像。今までいろいろ史跡に有る石像を見たけどこのインパクトは、最強でした。

基本は一人。仲間は3人いて年一で旅行しています。合間に軍議と称して近隣の城跡を廻ります。

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今日のレビュー

悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

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