青鳥城は山田直安の居城として知られています。かつてこの地は源頼朝や太田道灌が陣を敷いた場所だと伝わっています。戦国時代には武蔵松山城を攻める北条氏康方の城として機能したと思われますが、いったん廃城になりました。その後、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐において前田利家が廃城となっていた青鳥城跡に陣を置き、武蔵松山城を攻めました。現在、城址には土塁や空堀などの遺構はあるものの整備はされておらず、また大部分が私有地のため自由に見学できる部分はかぎられています。
青鳥城を訪問した166人の報告によれば、平均見学時間は32分、平均評価は2.80点となっています。
青鳥城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
青鳥城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
青鳥城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
青鳥城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する