佐貫城は真里谷武田氏が最初に築いた城です(文安年間に関東管領上杉氏の家宰・長尾氏によって築かれていた説もあり)。のちに里見義堯の支配下になります。浦賀水道を挟んで三浦半島に臨むという交通の要衝であることから、里見氏と北条氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。徳川家康が関東に入封すると譜代の内藤家長が城主となった。その後は桜井松平氏、能見松平氏が治め、柳沢吉保が継いだあと、一時期廃城となるが、1710年(宝永7年)に阿部正鎮が三河刈谷から入封して佐貫城を再興、以後は阿部氏歴代の居城として、明治維新まで162年間にわたって佐貫藩を治めた。現在も城址には石垣や堀、曲輪跡などの遺構が残っています。
目次
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69 m( 50 m)
内郭:-- 外郭:--
武田義広
着工 応仁年間(1467年〜1469年)
1871年(明治4年)
里見義弘、阿部正鎮
真里谷氏、里見義弘、足利義氏、 加藤氏、内藤氏、松平忠重、 柳沢吉保、阿部氏
空堀、石垣、土塁、井戸
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 69 m( 50 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 武田義広 |
築城開始・完了年 | 着工 応仁年間(1467年〜1469年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 里見義弘、阿部正鎮 |
主な城主 | 真里谷氏、里見義弘、足利義氏、 加藤氏、内藤氏、松平忠重、 柳沢吉保、阿部氏 |
遺構 | 空堀、石垣、土塁、井戸 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/01 03:32:59
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり |
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