本納城は黒熊大膳亮景吉の居城として知られています。地の利を生かした要害堅固な山城で、房州里見氏の支城として機能していましたが、1564年(永禄7年)の国府台合戦ののち、房州里見氏の傘下を離反した土気城主・酒井胤治の軍勢に急襲され落城しました。その後、板倉右衛門らが城代をつとめましたが、徳川家康の関東入封後は旗本知行地となり廃城となりました。黒熊大膳亮の菩提を弔うために建てられたといわれる蓮福寺は居館跡だといわれており、そのすぐ裏手の山が城址です。蓮福寺から主郭まではよく整備されており、主郭虎口手前にある袋狭間と呼ばれる堀底道は見事です。
本納城を訪問した114人の報告によれば、平均見学時間は32分、平均評価は3.07点となっています。
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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