椎津城の築城者、築城年については諸説ありますが、戦国時代には真里谷城を本拠とする武田信長の支配下にあったようです。この地は武蔵・下総から上総・安房の房総に通じる房総往還道や久留里街道西往還、また椎津湊を抑える水陸交通の要衝であったことから何度も攻防戦が繰り広げられています。1552年(天文21年)には里見義堯、義弘が攻略して武田信政は自刃しました。その後は里見氏と北条氏によって争奪されましたが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」において北条方の白幡六郎が守備する城を浅野長政が攻め落としました。現在城址周辺は宅地化されており遺構はほぼ消滅していますが、八坂神社の裏にある城山と呼ばれる本丸跡に土塁が残っており標柱もあります(ただし私有地に隣接しているため見学ルートは現地標識に従ってください)。
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現代風景の中の姫路城写真も掲載されていて、それが歴史の奥深さと融合しています。
一辺19センチの正方形一冊に姫路城への愛がぎっしりと詰まっているように思えます。もっと大きな判型で拝見したいところですが、身近にいつでもページを開くことができるというのも大切なポイントでしょうね。
デジタル写真にレタッチを施せる昨今にあって、このような調和のとれた発色・陰影表現を見習いたいものです。
大西義和さんとは2018年の秋に偶然に知り合いまして、こちらの89ページの「秋色 シロトピア記念公園」はおそらくその時に撮影された写真と思われます。それから一年に一度は撮影スポットでお目にかかることがあります。
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