椎津城の築城者、築城年については諸説ありますが、戦国時代には真里谷城を本拠とする武田信長の支配下にあったようです。この地は武蔵・下総から上総・安房の房総に通じる房総往還道や久留里街道西往還、また椎津湊を抑える水陸交通の要衝であったことから何度も攻防戦が繰り広げられています。1552年(天文21年)には里見義堯、義弘が攻略して武田信政は自刃しました。その後は里見氏と北条氏によって争奪されましたが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」において北条方の白幡六郎が守備する城を浅野長政が攻め落としました。現在城址周辺は宅地化されており遺構はほぼ消滅していますが、八坂神社の裏にある城山と呼ばれる本丸跡に土塁が残っており標柱もあります(ただし私有地に隣接しているため見学ルートは現地標識に従ってください)。
椎津城に関するデータ 情報の追加や修正
28 m
内郭:-- 外郭:--
椎津三郎か
着工 1325年(正中2年)頃か
1590年(天正18年)
真里谷氏、里見氏、北条氏
曲輪、土塁、空堀
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 丘城(平山城) |
標高(比高) | 28 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 椎津三郎か |
築城開始・完了年 | 着工 1325年(正中2年)頃か |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 真里谷氏、里見氏、北条氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:53:59
椎津城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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