渋谷城は金王丸一族である渋谷氏の居城です。金王丸は源頼朝の父であり、「八幡太郎」の名で知られる源義朝に仕えた人物です。戦国時代に入り、1524年(大永4年)に北条氏綱が江戸城を攻略すると、渋谷氏も渋谷城を捨てたと考えられています。城域は現在の渋谷川を堀として、金王八幡宮あたりが城址です。遺構は石垣の一部だけが残っており、金王八幡宮に「渋谷城砦の石」と書かれた石碑があります。
渋谷城を訪問した368人の報告によれば、平均見学時間は19分、平均評価は2.46点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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