渋谷城にある金王八幡宮社殿に設置されている案内板の内容を紹介します。
渋谷三丁目5番12号 金王八幡宮
区指定有形文化財 昭和五十一年三月二十六日指定
附 渡り廊下 平成二十二年十月七日追加指定金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)社殿及び門 附 渡り廊下
社記によると、この八幡は渋谷氏の祖、河崎基家が寛治(かんじ)六年(一〇九ニ)に創健したといわれます。
現在の社殿は、徳川家光が三代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母(めのと)春日局(かすがのつぼね)とともに、慶長(けいちょう)十七年(一六一ニ)に造営を開始したものです。その後たびたび修理されましたが、江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物です。
門は、明和(めいわ)六年(一七六九)と享和(きょうわ)元年(一八〇一)に造られたとする二説があり、江戸中期の建立にはちがいありませんが、その後何度かの修理を経て今日に及んでいます。
このあたり一帯の高台には、渋谷氏の居館があったと伝わり、東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い谷地形(黒鍬(くろくわ)谷)があって、城館を囲んでいるうえ、かつては数か所に涌泉(ゆうせん)があるという好条件を備えていました。
しかし、その城館は大永(たいえい)四年(一五ニ四)、北条氏と上杉氏の合戦のとき、北条氏の一軍に焼き払われてしまったということです。
平成二十二年には、社殿に附属してその価値をいっそう高める建造物として、渡り廊下が附として追加指定されました。渋谷区教育委員会