笠岡城は村上隆重によって瀬戸内における能島村上家(宗家)の要害として築かれた城です。「関ケ原の戦い」以後は徳川家康の所領となり、小堀遠州の父である小堀正次が代官として置かれました。1898年(明治31年)に笠岡湾の埋め立てのために古城山の山頂部が削り取られたため、遺構はほぼ残っていません。現在は笠岡古城山公園として整備されています。公園内には230本の桜があり、毎年花見の季節には多くの花見客が訪れます。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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