笠岡城は村上隆重によって瀬戸内における能島村上家(宗家)の要害として築かれた城です。「関ケ原の戦い」以後は徳川家康の所領となり、小堀遠州の父である小堀正次が代官として置かれました。1898年(明治31年)に笠岡湾の埋め立てのために古城山の山頂部が削り取られたため、遺構はほぼ残っていません。現在は笠岡古城山公園として整備されています。公園内には230本の桜があり、毎年花見の季節には多くの花見客が訪れます。
笠岡城に関するデータ 情報の追加や修正
68.8 m
内郭:-- 外郭:--
村上隆重
着工 弘治年間(1555年〜1558年)
1619年(元和5年)
村上隆重、村上景広、毛利元康、小堀正次、池田長幸
石垣の一部
項目 | データ |
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曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 海城(山城) |
標高(比高) | 68.8 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 村上隆重 |
築城開始・完了年 | 着工 弘治年間(1555年〜1558年) |
廃城年 | 1619年(元和5年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 村上隆重、村上景広、毛利元康、小堀正次、池田長幸 |
遺構 | 石垣の一部 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/24 03:30:54
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 古城山公園駐車場(無料、10台) |
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