神辺城は山名氏の居城として大内氏と尼子氏の争いに巻き込まれた城です。その後、毛利氏の直轄となり、1591年(天正19年)には毛利元就の子、毛利元康が城主となりました。「関ケ原の戦い」後には毛利氏に代わって安芸国広島城主として入封した福島正則の家老、福島正澄が神辺城主となりました。この際、近世城郭として整備され天守も築かれましたが、福島氏の改易にともない入封した水野勝成は新たに福山城を築いたため、神辺城は廃城となりました。福山城築城の際に解体され、石垣や櫓の多くは流用されたたため、現在遺構はほとんどありませんが、福山市北吉津町の実相寺に移築門があります。なお、神辺城の名は廃城後に付けたれたものであり、歴史上は「村尾城」が正確な呼称です。
神辺城を訪問した153人の報告によれば、平均見学時間は46分、平均評価は3.23点となっています。
神辺城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
神辺城に関するデータ 情報の追加や修正
133 m( 115 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
3重
---
---
---
福島氏の時代に天守や櫓が築かれたが福山城築城にともない破却または移築された
朝山景連
着工 1335年(建武2年)
1619年(元和5年)
山名理興
朝山氏、山名氏、杉原氏、福島氏
曲輪、空堀、石垣、移築現存門
---
---
登録日:2020/09/29 20:52:28
更新日:2024/10/09 15:09:14
神辺城へのアクセス情報 情報の追加や修正
歴史民俗資料館駐車場(無料、10台)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
神辺城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
神辺城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
神辺城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する