笠岡城
笠岡城

[岡山県][備中] 岡山県笠岡市笠岡西本町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.54(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:85(1320位)

笠岡城の案内板

笠岡城址である古城山公園に建てられている案内板の内容を紹介します。

古城山公園
伝承
 標高約七十米。古くから内海の景勝地として知られる。もとは、海中の一孤島とも、応神山と連続していたとも伝えられる。
 別名、「海松(みる)が丘」、「吸江山」、「高松の城山」と言われた。
笠岡城
 弘治年間(一五五五〜一五五八)に能島村上水軍の一族、村上隆重が笠岡城を築城。その後、村上景広、毛利元康が在城。関ヶ原合戦後、徳川家康の所領となり、代官、小堀新助が入城。
 元和二年(一六一六)池田備中守長幸の居城。
 元和五年(一六一九)松山城(高梁市)に移り、笠岡城は廃城となった。
 明治四十年(一九〇八)末新田埋め立てのため切り下げられ、城の遺構が消滅した。
 昭和三十一年、笠岡市の都市公園となる。笠岡市都市計画課
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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