金山城は相馬氏と伊達氏との間で争奪戦が展開されたいわゆる「境目の城」で、1581年(天正9年)に伊達政宗が初陣を飾った城といわれています。伊達氏の領有となったのちの江戸時代には「元和の一国一城令」により金山要害と称するようになりました。その後も政宗の家臣である中島氏が明治維新まで居住しました。現在は「お館山公園」となっており、本丸跡には石垣が残されています。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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