大聖寺城は鎌倉時代に築かれた城です。戦国時代には一向一揆の拠点となっていましたが、織田信長によって加賀が平定されると、信長は柴田勝家に命じて城を修復させました。1583年(天正11年)の「賤ヶ岳の戦い」で勝家が敗れた後は、丹羽長秀の与力として溝口秀勝が入城しています。「関ケ原の戦い」では時の城主、山口宗永が西軍についたため、前田利長に攻められ落城しました(大聖寺城の戦い)。その後は前田家の家臣が城代を務めましたが、元和の一国一城令によって廃城となりました。しかし1639年(寛永16年)には前田利治が7万石を分けられて大聖寺藩を立藩し、跡地に大聖寺陣屋を設けました。現在は錦城山公園として整備されており、茶室の長流亭は小堀遠州の設計によるもので国の重要文化財に指定されています。
目次
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65 m( 60 m)
内郭:-- 外郭:--
狩野氏
着工 鎌倉時代
1615年(元和元年)
柴田勝家
狩野氏、一向一揆、朝倉氏、佐久間盛政、溝口秀勝、山口宗永、前田氏
曲輪、土塁、茶亭
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 65 m( 60 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 狩野氏 |
築城開始・完了年 | 着工 鎌倉時代 |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 柴田勝家 |
主な城主 | 狩野氏、一向一揆、朝倉氏、佐久間盛政、溝口秀勝、山口宗永、前田氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、茶亭 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 14:45:36
大聖寺城へのアクセス情報 情報の追加や修正
錦城山公園駐車場
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 錦城山公園駐車場 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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