大聖寺城址の登り口には案内板が設置されています。
加賀市指定文化財(史跡)大聖寺城跡
指定年月日 昭和三十五年十月七日
大聖寺町西端の標高約六十七メートルの錦城山に所在する平山城である。『太平記』以降、南北朝・一向一揆の争乱の中に攻防の場として文献にたびたび登場している。
織田信長の支配以後は戸次広正、拝郷家嘉が置かれ、柴田勝家没後は豊臣秀吉の部下溝口秀勝が、その後山口宗永が領した。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の役で西軍に組した山口宗永は、東軍側の前田利長の攻撃を受け、同年八月三日宗永軍は敗れた。
寛永十年(一六三九)に成立した大聖寺藩は城を造らず、一般人の入山を禁止し、自らは麓に館を構えたので保存状態は良かった。
本丸・二の丸・三の丸・東丸・馬洗池や土塁などに山城の面影を残し、近年、遊歩道が整備されて散策を楽しむことができる。昭和六十一年十二月
加賀市教育委員会