加賀藩の支藩であった大聖寺藩は明治政府から武器弾薬の供出を命じられた際に、その資金を贋金をつくり払いました。
この事実が露見したため、責任者の市橋波江は切腹しました。ただしその子には倍の禄高を与え報いたといわれています。
その贋金づくりを行っていたとされる洞穴がいまも残っています。
贋金(にせがね)造りの洞穴
明治元年明治新政府より越後戦争の弾薬供出を命ぜられた大聖寺藩はこの洞穴の中で贋金を製造した。
銀製品を溶かし弐分金を造り山代温泉の湯に浸し通貨として広く通用し政府の命を果たした後に露見に及び製造責任者市橋波江に切腹を命じた。然し子息には倍の禄を与えて功に報いた。この事件をパトロン事件という。
(注:パトロンとは弾薬の意)