花巻城は歴代の盛岡藩花巻郡代の居城です。もともとこの地には「前九年の役」の際に安倍頼時が築いた城柵があったと伝えられます。その後、16世紀中期に稗貫氏が鳥谷ヶ崎城を築いて居城とし、さらに1591年(天正19年)に南部信直の代官である北秀愛が城代として入り、城の改修が行われた際に花巻城と改名されています。秀愛が死去したのちは父の北信愛が城主となり、さらに信愛の死後に城主となった南部政直の代に近世城郭として完成しています。政直の時代には本丸に2重2階の櫓や多くの重層の城門が建てられ、一国一城令の例外のひとつとして認められています。現在は鳥谷ヶ崎公園として整備され、1995年(平成7年)に西御門が復元されました。そのほか三の丸にある鳥谷崎神社境内には唯一の建物遺構である圓城寺門(旧搦手門)が、市役所には城内にあった時鐘堂が移築されています。
花巻城を訪問した243人の報告によれば、平均見学時間は44分、平均評価は3.20点となっています。
花巻城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
花巻城へのアクセス情報 情報の追加や修正
城内武道館にあり
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
花巻城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
花巻城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する