花巻城は歴代の盛岡藩花巻郡代の居城です。もともとこの地には「前九年の役」の際に安倍頼時が築いた城柵があったと伝えられます。その後、16世紀中期に稗貫氏が鳥谷ヶ崎城を築いて居城とし、さらに1591年(天正19年)に南部信直の代官である北秀愛が城代として入り、城の改修が行われた際に花巻城と改名されています。秀愛が死去したのちは父の北信愛が城主となり、さらに信愛の死後に城主となった南部政直の代に近世城郭として完成しています。政直の時代には本丸に2重2階の櫓や多くの重層の城門が建てられ、一国一城令の例外のひとつとして認められています。現在は鳥谷ヶ崎公園として整備され、1995年(平成7年)に西御門が復元されました。そのほか三の丸にある鳥谷崎神社境内には唯一の建物遺構である圓城寺門(旧搦手門)が、市役所には城内にあった時鐘堂が移築されています。
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86.7 m( 20 m)
内郭:20 ha 外郭:--
着工 16世紀前半か
1869年(明治2年)
北信愛、北秀愛、南部氏
稗貫氏、浅野重吉、北氏、南部氏
土塁、堀、円城寺門、時鐘堂
西御門
項目 | データ |
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曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 86.7 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:20 ha 外郭:-- |
築城主 | |
築城開始・完了年 | 着工 16世紀前半か |
廃城年 | 1869年(明治2年) |
主な改修者 | 北信愛、北秀愛、南部氏 |
主な城主 | 稗貫氏、浅野重吉、北氏、南部氏 |
遺構 | 土塁、堀、円城寺門、時鐘堂 |
指定文化財 | |
復元状況 | 西御門 |
更新日:2024/04/25 03:28:42
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 城内武道館にあり |
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