別名 新町館、八日館

久慈城は久慈氏代々の居城として知られています。久慈修理助治政の養子で12代・久慈備前守信実による築城とされていますが定かではありません。その後、戦国時代の1591年(天正19年)9月に久慈備前守直治は九戸信仲の三男である中務政則を娘婿としたため、「九戸政実の乱」において九戸政実に味方して九戸城に籠城することとなります。しかし降伏すると政実とともに豊臣秀次の陣で処刑され、久慈氏は滅亡しました。その後、久慈城は南部信直の直轄下におかれることとなりましたが、翌年には破却されています。なお久慈直治の父・信義の弟である十郎が出奔して、のちの津軽為信になったという説もあります。現在城址には本丸跡や空堀などの遺構が残っており、公民館前に案内板が建てられています。山麓にある慈光寺には久慈氏の後裔である摂待久慈氏の墓碑や念仏碑が現存しています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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