小丸城は府中三人衆のひとり、佐々成政によって築城された城です。わずか6年余りで廃城となったため、城が未完であった可能性も高いですが、小丸城の石垣は江戸時代には再利用されなかったことから、織豊系石垣の典型例として貴重な遺構です。また、1932年(昭和7年)には城跡より前田利家による一向一揆勢の処刑の様子が記されているという瓦の破片が出土し、「越前の里・万葉館」に展示されています。
小丸城を訪問した166人の報告によれば、平均見学時間は22分、平均評価は3.00点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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