金窪城は武蔵七党のひとつ、丹党一派である加治家季によって築かれた城だと伝えられています(新田義貞による築城説もあり)。15世紀中頃には関東管領・山ノ内上杉氏の家臣である斎藤盛光の居城となります。その後、斎藤氏は北条氏に従いました。1582年(天正10年)に「本能寺の変」で織田信長が討たれると、北条氏直が織田領に侵攻し「神流川の戦い」が起こります。このとき滝川一益により攻められ落城すると斎藤氏は没落します。徳川家康の関東移封後は川窪信俊がこの地に陣屋を置きますが、1698年(元禄11年)に川窪信俊の孫である武田信貞が丹波に移封となったため廃城となりました。現在城址は「金窪城址公園」として整備されていますが、遺構はわずかに土塁が残るのみです。公園内に城址碑と案内板が設置されています。
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内郭:-- 外郭:--
加治家季か
着工 治承年間(1177年〜1181年)
1698年(元禄11年)
新田義貞、川窪信俊
加治氏、畑時能、斎藤氏、川窪氏
土塁
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | --( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 加治家季か |
築城開始・完了年 | 着工 治承年間(1177年〜1181年) |
廃城年 | 1698年(元禄11年) |
主な改修者 | 新田義貞、川窪信俊 |
主な城主 | 加治氏、畑時能、斎藤氏、川窪氏 |
遺構 | 土塁 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:56:41
金窪城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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駐車場 |
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八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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