別名 坂本城、蓑首城、坂元要害

坂元城は亘理氏の家臣である坂本氏の居城です。1571年(元亀2年)に坂元大膳が愛宕山城で相馬氏に攻められ討死すると、その子の坂元三河俊久が新たに築いて居城としました。江戸時代には伊達領の坂元要害として存続し、1616年(元和2年)に大條宗綱が城主になって以降は幕末まで大條氏の居城となりました。築城時は「坂本城」の表記でしたが、1644年(正保元年)に地名が「坂本」から「坂元」に変わったため城名も「坂元城」と書かれるようになりました。現在城址には本丸跡に坂元神社があり、土塁と空堀を確認できます。また山元町立坂元小学校の北側にある広場が三の丸跡で、ここに大手門が現存しています。
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坂元神社駐車場
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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