亘理城は伊達政宗の両腕とされた片倉小十郎景綱と伊達成実、ふたりの重臣が城主をつとめた城として有名です。景綱は亘理氏が転封された1591年(天正19年)から11年間城主をつとめ、「関ケ原合戦」後の1602年(慶長7年)に白石城へと移ると、替わって成実が城主となりました。その後、成実の子孫は亘理伊達氏として明治維新に至るまでこの地を治めました。なお元和の一国一城令後も「亘理要害」と呼ばれ存続しました。現在、本丸跡には亘理神社が建立され、成実が祀られています。馬場跡は亘理高等学校の敷地に、また二の丸はスーパーマーケットの敷地になるなど開発が進み、遺構はほとんどありませんが、亘理神社の南にある旧舘公園に内堀跡が残っています。また町内の常因寺と専念寺に城門が移築されています。
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