宮尾城は1555年(天文24年)に毛利元就と陶晴賢が戦った「厳島の戦い」の舞台となった城です。かつては元就が晴賢をおびき寄せるための囮として築城したとされていましたが、近年の研究では大内氏の城がそれ以前から存在しており、元就はそれを占拠し改修したとする説が有力です。当時は三方が海に面していた海城でしたが、現在は曲輪や堀切がわずかに残るのみです。また山頂には今伊勢神社が建てられています。
宮尾城を訪問した288人の報告によれば、平均見学時間は22分、平均評価は2.94点となっています。
宮尾城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
宮尾城へのアクセス情報 情報の追加や修正
---
なし
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
宮尾城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
宮尾城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
宮尾城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
まだ本城登録している団員がいません
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する