篠脇城は千葉氏の一族である東氏が阿千葉城に代わる居城として築いた城です。東氏はこの城を8代・約230年間にわたって居城としました。歌人としても知られる東常縁が城主の1468年(応仁2年)には美濃守護代で顔戸城主の斎藤妙椿に攻められ落城しましたが、それを聞いた常縁が嘆いて詠んだ歌が妙椿に伝わり、贈歌10首と引換えに城を返したと『鎌倉大草紙』にあります。その後、東常慶が城主の1540年(天文9年)に越前から侵攻してきた朝倉氏の攻撃を撃退しましたが城の損傷が激しく、常慶は東殿山に赤谷山城を築いて移ったため廃城となりました。現在城址には大堀切や切岸などの遺構がありますが、とくに「臼の目掘」と呼ばれる30本余の放射線状の畝状竪堀群が特徴です。北麓にある東氏館跡庭園から遊歩道が整備されています。また「古今伝授の里フィールドミュージアム」には資料館があります。
篠脇城を訪問した115人の報告によれば、平均見学時間は1時間13分、平均評価は3.85点となっています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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