別名 小倉居館
小倉山城は金森長近の隠居城として築かれた城で、別名「小倉居館」ともいわれています。金森家が無嗣断絶で改易されたことにより、わずか6年で廃城になりました。城址には遺構として石垣と土塁が現存しています。現在は小倉公園として整備されており、本丸には模擬櫓、さらに山頂には三階建ての展望台が建てられています。また、城下町は江戸時代の歴史的景観を残したまま現存しており「うだつの上がる町並み」として重要伝統的建造物群保存地区となっています。
小倉山城を訪問した308人の報告によれば、平均見学時間は42分、平均評価は2.86点となっています。
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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