赤谷山城は東常慶によって築かれた城です。常慶の居城であった篠脇城は二度にわたり越前朝倉氏の侵攻を受けていたため、より防御に向いた要害の地に城を築く必要があったため、新たにこの城を築いて居城を移しました。その後、東氏一族の遠藤氏の勢力が増したため、常慶は娘婿の遠藤盛数に家督を譲ろうとしましたが、常慶の子である東常堯がこれに反発して「赤谷山城の戦い」が起こります。盛数は常慶・常堯の籠もる城を攻めると、10日間の防戦の末に落城し、東氏は滅亡しました。なおこの戦いで遠藤氏が陣を置いた八幡山がのちの郡上八幡城となります。現在城址には石垣などの遺構を確認でき、標柱と案内板が設置されています。
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赤谷山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
市営八幡愛宕駐車場(有料、148台)
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駐車場 | 市営八幡愛宕駐車場(有料、148台) |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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