東一之門は本丸搦手を守備する枡形門を形成していた内門でしたが、1945年(昭和20年)の空襲で天守や本丸御殿とともに焼失しました。
現在は門跡として、枡形を形成していた石垣だけが残っています。
東一之門跡(ひがしいちのもんあと)
本丸搦手の内門で、外門である本丸東二之門とともに枡形(ますがた)を形成していた。入母屋造(いりもやづくり)・本瓦葺(ほんかわらぶき)の堅牢な二階建てであったが、昭和二十年(一九四五)の空襲により消失した。
東一之門は本丸搦手を守備する枡形門を形成していた内門でしたが、1945年(昭和20年)の空襲で天守や本丸御殿とともに焼失しました。
現在は門跡として、枡形を形成していた石垣だけが残っています。
東一之門跡(ひがしいちのもんあと)
本丸搦手の内門で、外門である本丸東二之門とともに枡形(ますがた)を形成していた。入母屋造(いりもやづくり)・本瓦葺(ほんかわらぶき)の堅牢な二階建てであったが、昭和二十年(一九四五)の空襲により消失した。
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