名古屋城総合事務所によって作成された名古屋城の公式パンフレットです。
名古屋城の生い立ち
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清須から新城下への街まるごとの引越しを決定。この新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。
慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請といいます。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)にほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
維新後も名古屋離宮としてその美しいたたずまいを誇った名古屋城は、昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)の名古屋空襲によって本丸のほとんどを焼失しました。しかし、名古屋のシンボルとして天守の再建を望む市民の声は日に日に高まり、昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。
名古屋城本丸御殿は、文献や古写真、実測図、障壁画など多数の豊富な資料が残されており、史実に忠実な復元が可能であるため、平成21年(2009)に復元工事に着手しました。そして、平成25年(2013)5月29日、玄関と表書院の公開が始まりました。全体の完成は平成30年(2018)をめざしています。
名古屋城本丸御殿
名古屋城本丸御殿は、初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため、慶長20年(1615)、徳川家康により建てられました。昭和5年には天守と共に国宝に指定され、名建築として知られていましたが、昭和20年の空襲により焼失しました。
平成21年(2009)から復元工事を開始し、平成25年5月29日に第1期部分(玄関と表書院)の公開が始まりました。なお、すべての工事の完了は平成30年を予定しています。
総面積は3,100㎡、部屋数は30を超える平屋建の建物です。この復元工事は、「平成の市民普請」として、皆様のご支援をいただき、工事の様子を公開しながら進めています。