高山城は播磨守護・赤松氏発祥の地といわれています。もとは山田則景の隠居城として築いた城でした。則景の末子、家範はこの城で生まれ、のちに赤松に移り住み、則村(円心)のときに赤松姓を名乗りました。また1577年(天正5年)には尼子勝久が上月城に入る前にこの城を居城としたことから「尼ヶ城」とも呼ばれています(諸説あり)。現在城址は「高山城ふれあいの里」として整備されており、登山道沿いに進むと中腹に鐘搗堂と呼ばれる見張り台があります。また削平地や空堀で構成された曲輪跡もはっきり確認できる状態で残っています。※現在は登城道などが整備中のようです
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」の予習として手に取りました。本書は2003年に出版された本の再刊行となっており、その当時著者が学生向けに書いている本なので大変読みやすいです。内容的には、東国で起こった平将門の乱から北条氏中心の体制に移行するまでが解りやすく書かれています。勉強会で使用している高校の日本史教科書で中世が院政の始まりからになっていることがこの本を読んで理解出来ました。また、頼朝が征夷大将軍を欲した訳が2004年に「山槐記」の記事が新たに発見されたことにより変更されているようですが、この著書は2003年に書かれた内容なのでその部分は修正が必要とのことが最後に書かれているので、最後まで読まれることをお勧めします。前述したように学生向けに書かれた本なので、歴史初心者の方も安心して読める一冊だと思います。
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