別名 高山城、鴻の山城、尼ヶ城

高山城は播磨守護・赤松氏発祥の地といわれています。もとは山田則景の隠居城として築いた城でした。則景の末子、家範はこの城で生まれ、のちに赤松に移り住み、則村(円心)のときに赤松姓を名乗りました。また1577年(天正5年)には尼子勝久が上月城に入る前にこの城を居城としたことから「尼ヶ城」とも呼ばれています(諸説あり)。現在城址は「高山城ふれあいの里」として整備されており、登山道沿いに進むと中腹に鐘搗堂と呼ばれる見張り台があります。また削平地や空堀で構成された曲輪跡もはっきり確認できる状態で残っています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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