小川城は「本能寺の変」の際に堺見物をしていた徳川家康が伊賀越えをする途中で一夜を明かした城だと伝えられています。北西麓の中ノ城、南西側の小丘陵に位置する西ノ城を支城として一体となって機能していた複合城郭でした。1585年(天正13年)頃に多羅尾光俊が大規模改修をおこないましたが、光俊の娘が豊臣秀次に嫁いでいたため秀次の切腹(いわゆる「秀次事件」)に連座して改易され廃城となりました。城址は散策しやすく整備されており、周囲を土塁に囲まれた曲輪や石垣などの遺構が残っています。なお、鶴見伊予守定則(道宗)ではなく、鶴見伊予守長実や小川俊盛(富永俊盛)によって築かれたという説もあり、築城年代・築城者については定かではありません。
目次
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470.4 m( 150 m)
内郭:-- 外郭:--
鶴見道宗か
着工 1300年(正安2年)か
1595年(文禄4年)
多羅尾光俊
鶴見氏、小川氏、多羅尾氏
曲輪、土塁、空堀、堀切、礎石建物
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 470.4 m( 150 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 鶴見道宗か |
築城開始・完了年 | 着工 1300年(正安2年)か |
廃城年 | 1595年(文禄4年) |
主な改修者 | 多羅尾光俊 |
主な城主 | 鶴見氏、小川氏、多羅尾氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、堀切、礎石建物 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 18:53:18
小川城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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